
西三河と知多半島を隔てる衣ヶ浦にはかつて、高浜市芳川町と東浦町を結んだ藤江の渡しがありました。渡し場かもめ会は2000年からその歴史を伝え、景観を守るための環境保全活動に努めてきました。しかし2025年3月で四半世紀におよぶ活動を終え、解散しました。
今回は渡し場かもめ会25年の活動を振り返りながら、会が果たした役割や会の活動に関わった人びとの思いに迫ります。
衣浦大橋開通によって廃止された藤江の渡し
藤江の渡しは1956 年の衣浦大橋開通によって廃止されました。それから24年後の1980年、3月に、渡し場跡に記念碑が建てられます。
渡し場かもめ会前会長の神谷正巳さんは、記念碑が建てられた日のことをこう振り返ります。「当時幼稚園生だった娘が着物を着て式に参加しました。当時ちょうど町内会長をしていたので、その関係で、こういう役割をすることになりました」
記念碑の完成から10年後の1990年、渡し場の記憶が風化するなかで、建碑に関わった人びとを中心に、記念大会が開催されました。それをきっかけに1993年に渡し場まつりが始まります。
名物行事の嫁入り船
1996年には、のちに名物行事となる嫁入り舟も誕生しました。これは、かつて対岸に嫁入りする花嫁を見たという思い出を語る人があったことから、その光景を再現したものです。
高浜市内に暮らす都築さんは、2010年春に挙式し、その年の10月の渡し場まつりで、嫁入り舟に乗りました。
新郎を務めた都築信雄さんに当時の思い出を聞きました。「地元のことなのに、渡しのことはあまり知りませんでした。でもそういうお祭りがあるならやってみようと思いました。車だとすぐの距離でも、手こぎの船だと時間がかかることもあり、当時のことに思いを馳せました」
嫁入り船と地域の人々
新婦だった都築志帆さんはこう語ります。「小学校に勤めていて金管バンドの顧問をやっていたことから、生徒たちがお祭りで演奏をしてくれました。いろんな人に祝われて、とても貴重な経験になりました」
特別養護老人ホーム高浜安立荘は、嫁入り船開始当初から新郎新婦役に職員を推薦してきました。 荘長鵜芦由美子さんはこう語ります。「渡し船が終わったあと、新郎新婦から施設の人にお菓子を手渡してもらっています。とても喜ばれます。地域の人と交流する良い機会になっていました」
地域で海の環境を守っていく
2000年になると会の活動は、渡し場かもめ会に引き継がれ、毎月の海岸清掃のほか、子ども向けの生き物観察会を行うようになりました。
高浜市は、渡し場かもめ会の活動を長年サポートしてきました。高浜市都市政策部土木グループ山中茂樹さんに、会の活動について聞いてみました。「小学生に対する環境学習ができる。地域で海の環境を守っていく活動ができる。幅広い年齢層の人と共に活動をしてきたというところがよかったと思います」
四半世紀の活動最後の海岸清掃
2025年3月2日、渡し場かもめ会四半世紀の活動で、最後の海岸清掃が行われました。この日は清掃活動終了後、お汁粉の振る舞いも行うため、担当に分かれて作業します。清掃活動が終わり、関係者でお汁粉を食べながらこれまでの活動をねぎらいます。その後には渡し場かもめ会の役員による食事会も開催されました。
在任期間はさまざまですが、みなさん今日までそれぞれの立場で、活動を支えてきました。
どんな未来になるかを自分たちの目で
渡し場かもめ会、最後の会長になった尾﨑稔彦さんは、会が果たした役割についてこう語ります。「もちろん、続けたほうがいいんじゃないかという声もありました。ただ高齢化や時代時代の風潮もあり、未来に託すことを考えました。どんな未来になるかを自分たちの目で確かめられればいいと思います」
地元の歴史や文化を伝え遺しながら、新たに環境保全活動にも取り組んできた、高浜市の渡し場かもめ会。四半世紀を経て、その活動は終了しますが、その思いや理念は、地元に脈々と受け継がれていくことでしょう(取材・撮影:オフィスげんぞう /リライト:石川玲子 2025年2月~3月取材)
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