2023年1月8日から放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」。有名な戦国武将・徳川家康の一生を描いた話題作です。家康と愛知県は切っても切れない関係であるというのはあまりにも有名ですが、愛知県西三河エリアにもゆかりの深い場所が多く存在しているって知っていましたか?実は、あの主演俳優もロケですでに何度か訪れているそうですよ!
今回は、前回の「安城市・刈谷市・碧南市」編に続いて愛知県西尾市に注目。地元を愛してやまない「西尾歴史愛好会」の皆さんによる特別解説を添えて「知られざる家康スポット」をご紹介していきます!来たる大河ドラマの放送に備えて豆知識を蓄えましょう!
「西尾歴史愛好会」の皆さんが解説!
今回お話を聞いたのは、西尾市の歴史ならおまかせ!な「西尾歴史愛好会」の皆さん。現在は14名のメンバーで、年に1回の歴史講演会をはじめ、月1回の定例会では、活発な意見交換をしたり、遺跡を散策したりと、積極的に西尾市の魅力を発信しています。
「『研究会』ではなく『愛好会』としているのには、真面目になりすぎず楽しみながら活動してほしいという思いが込められています。それぞれが持ち寄った情報を共有しては歴史談義に花を咲かせていますよ」と語るのは、会の代表を務める天野初男さん。西尾市と家康の関係は深く、戦の舞台となった場所や、趣味の鷹狩りに興じた場所など、各所に逸話が残されているそうです。それでは、早速行ってみましょう!
三英傑のリゾート地!「西尾城趾」
1221年に起こった承久の乱の功績により、足利尊氏が築城したとされている「西尾城」。戦国時代、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長によって破られると、家康は家臣の酒井正親を城主にし、その後は松平氏や本多氏などの徳川譜代大名が代わる代わる城主を務めました。
この「西尾城」周辺には大きな河川が流れていたことから、下流の湿地帯には豊かな野鳥が多く生息していたそうです。この地で織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の三英傑が相次いで鷹狩りを楽しんだという記録が残っています。
特に家康は、その生涯で1000回以上も鷹狩りを楽しんだのだとか。大量の獲物を獲ることは天皇への謁見の口実にもなったそうで、戦国の世を生きる武将たちにとって貴重なレクリエーションだったことが伺えます。
住所:西尾市錦城町231-1
勢いづいた家康により攻められた「東条城跡」
桶狭間の戦いのあと、今川方から独立して三河平定に乗り出した家康。西尾城を攻略したあとに攻めたのが「東条城」です。東条城には、城主の吉良義昭が立てこもっていましたが、家康の家臣である酒井正親らによって攻め込まれ、降伏。東条城は家康の手中に収められたそうです。
その後、三河一向一揆の際に義昭は再度立てこもりを試み、家康に対峙しますが、家康の勢いに負けて近江や摂津に落ち延び、その後は織田信長によって討ち死にしています。義昭がいなくなったあとの東条城には家臣の松平家忠が城主として入り、三河平定のための大きな一歩となりました。
住所:西尾市吉良町駮馬城山45
武運の神様「瀬門神社」でお参りを
家康が東条城に攻め入る際に戦勝祈願をしたとされるのが「瀬門神社」です。武運の神様として有名で、秋には飾り馬が馬場を駆け巡る駆け馬神事も行われ、地元の人も知る人ぞ知るスポット。大事な勝負事が控えている人は、ぜひお詣りを!家康にあやかって、ご利益があるかもしれません。
住所:西尾市吉良町瀬戸字宮西1
三河一向一揆で一揆側の中心となった「無量寿寺」
家康の家臣が寺の兵糧米を徴収したことが発端となり、一向宗の寺院を相手に争った「三河一向一揆」。家康とは主従関係にある家臣たちが、自身の信仰との間で揺れ動きながらも、敵・味方にわかれて約半年間続いた戦いです。
この時、一揆側の中心となったのが「無量寿寺」でした。当時の一向宗の寺院は大名に匹敵するほどの勢力があったと言われており、「三方ヶ原の戦い」「伊賀越え」と並んで『家康の三大試練』とも言われています。寺内には鼓楼が残されており、戦の名残を感じることができます。心身ともに苦しめられた家康に、思いを馳せてみては?
住所:西尾市平坂町奥背戸31
家康により改名された「康全寺」
西尾城の近くにある「康全寺」は、家康が宿泊したという逸話が残されています。もともとは「吉良山満全寺」という名前でしたが、家康の名前から一字を賜って「西尾山康全寺」と改めたのだそうです。また、門扉などには徳川の家紋である「三つ葉葵の紋」があしらわれているのだとか。
寺の名前を変えたり、紋を入れたりできたのですから、家康の人気ぶりが名実ともに高かったことが伺えますね!
住所:西尾市満全町36
家康と切っても切れない今川氏の発祥の地
家康にとって深い関わりがある今川家。幼少期には「人質」、桶狭間の戦いのころには「主従」の関係にありました。家康と名乗る前の「松平元康」という名前にも、今川義元の「元」が入っていますし、家康の最初の妻である瀬名姫は、主君・今川義元の姪でもあります。
そんな今川氏が誕生したのがこの場所です。現在ではその発祥にちなんで「今川町」という名前が残っています。家康の幼少期を考えるうえでは欠かせないスポットです。
住所:西尾市今川町土井堀17
今川義元の首が弔われた「東向寺」
1560年の桶狭間の戦いで敗れた今川義元。その首は清洲城近くに晒されたと言われています。今川の家臣である岡部元信は主君亡きあとも抵抗を続けましたが、信長に城を明け渡す代わりに義元の首を返すよう交渉しました。岡部の主君に対する思いに心を打たれた信長は、条件を飲んで首を差し出しました。
やがて首は今川方の身内が住職を務める「東向寺」に持ち込まれ、梅雨が来て傷んでしまう前に丁重に弔われたそうです。今川氏への忠義あふれるエピソードがわかる、貴重な場所ですね。
住所:西尾市駒場町榎木島115
家康の父・広忠がかくまわれた「室城趾」
話は家康が生まれる以前に遡ります。岡崎城主だった松平清康が家臣に暗殺されたことで、嫡男だった広忠(のちに家康の父)は城を追われることに。なんとか逃げ延びた広忠は、東条城主の吉良持広に保護され、吉良氏の家臣が城主の「室城」にかくまってもらったのだそうです。このときに保護されていなければ、家康は生まれていなかったかも?と思うと、感慨深い出来事ですね。
現在は「室城趾」として石碑を残すだけになっていますが、熱心な家康ファンや松平の末裔とされる人々が、この場所を見に遠方からも訪れているそうです。
住所:西尾市室町上屋敷89-89
家康の大伯母・矢田姫が眠る「養寿寺」
「養寿寺」には、家康の大伯母「矢田姫」が眠る墓があります。その縁あって、家康は1602年に36石もの領地を授けました。他にも、家康の初陣の様子を表した木造の像や、家康自筆の書なども保管されており、家康にとってゆかりのある場所です。
また、毎年3月の最終日曜日には「矢田のおかげん」といって、読経に合わせて雅楽の奉納が行われる風習が江戸時代から続いています。現在は、たくさんのお店で賑わう「寺マルシェ」としてより多くの人に親しまれているので、気軽に訪れてみてくださいね。
住所:西尾市下矢田町郷2
まだある!家康ゆかりのスポット「養国寺」「福泉寺」
他にも、家康によって「養穀寺」から名前を変えたという「養国寺」には、江戸時代に描かれた家康の絵が安置されていたり、家康が鷹狩りを楽しむための本陣にしていたという「福泉寺」には、家康が腰掛けたと伝えられている石台があったりと、見どころもたくさん。行く先々で家康の名残を感じてみましょう。
養国寺:西尾市寺津町東市場48
福泉寺:西尾市吉良町上横須賀八王子31
「西尾歴史散策MAP」を手に史跡をめぐろう!
今回取材にご協力いただいた「西尾歴史愛好会」の皆さんが監修し、西尾市の観光協会が発行している「西尾歴史散策MAP」を手に、家康ゆかりの場所をめぐってみませんか?このマップは、掲載されている寺院や道の駅、資料館や観光施設で配布されているほか、観光協会のHPからでも印刷できます。
関連スポットが一目でわかる市内の地図のほか、「矢作川」と「弓取川」の秘密、家康と西尾の関わりを示す年表など、知るほどに興味が湧いてくる情報が盛りだくさん。ぜひお出かけしてみてくださいね!(取材:光田さやか/2022年11月取材)
「西尾歴史散策MAP」デジタル版パンフレット
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