70年以上前、わたしたちのまちは"隠された被災地"でした
当時の市町村別死者数
1945(昭和20)年1月13日、真夜中の午前3時38分。わたしたちの住む西三河地方を、とつぜん、はげしいゆれがおそいました。三河地震です。
現在の安城市や西尾市では、震度7にあたる揺れがおこった場所もあったようです。
この地震のために、2,000人余りの命が失われました。村によっては、村中の建物の半分以上が完全にたおれ、あたり一面がれきでうめつくされてしまったところもありました。
たくさんの人が、家を失い、家族を失い、食べるものにも着るものにも困りはてましたが、戦争中だったため、その被害状況はほとんど報道されませんでした。
同じ愛知県内でも、名古屋の中心部は震度4にすぎません。三河地震の被害は、この地域に集中していたのです。地震そのものの大きさ(マグニチュード)は、特別に大きくはありませんでした。しかし、2,000人あまりの死者数は、20世紀に日本でおきた地震のなかで6番目に多く、とても大きな被害です。(キャッチネットワーク発行 DVDブック「三河地震から70年」)
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