五輪への夢を叶えるために前へ
フェンシングの強豪校・愛知工業大学名電高等学校で、目覚ましい活躍を見せる加藤響さんは現在、高校3年生。フェンシングとの出会いは、北京五輪で日本人初の銀メダルを獲った太田雄貴選手が戦う姿だった。
攻める姿勢、間合い、スピード感は、小学3年生だった響さんに、大きな衝撃を与えたのだ。当時3つ年上のお兄さんが中学受験をしたことで、その頃からフェンシング部のある中学へ進むことも頭に描いていた。
小学6年で五輪出場が目標に
6年生になると「フェンシングで五輪選手になりたい」と強く思い、念願の中学進学を果たした。
フェンシングには、得点の有効面、攻撃権の有無、有効打の違いなどにより「フルーレ」「エペ」「サーブル」の3種目があり、響さんの選んだ種目は「サーブル」。先に攻めることで攻撃権が得られ、剣先の接触が有効になる種目で、そのスピード感と豪快な斬り合いが醍醐味だ。
東京、そして、パリを目指す!
「ドンドン前に出て行くタイプなんです」と話す響さんの得意な技は、開始と同時のスタートダッシュ。「アレ(はじめ)」の号令で真剣勝負のスイッチが入り、素早く大胆に攻撃を仕掛けていく。
「普段も前に出るタイプ?」と聞くと「いや、そんなことは...」と、はにかんだ笑顔を見せた。その穏やかな雰囲気と試合での迫力のギャップも響さんの魅力のひとつ。2020年の東京五輪の次はパリ。2024年のパリ五輪に向けて頑張る響さんの夢をみんなで応援していこう。
(キャッチネットワークのライフコネクトチャンネルマガジン・ケーブルテレビの向こうがわ。2020年1月~3月号より)
加藤響さん
2001年8月、安城市生まれ。小学生時代は空手で頭角を現していたが、愛知工業大学名電中学校への進学と同時にフェンシングへ転向。
サーブルの個人で中学では全国制覇、高校では全国準優勝と輝かしい成績を残し、パリ五輪出場の有力選手として注目を集めている。