期待を胸に困難も乗り越える
2018年は、東海道新幹線の三河安城駅が開業して30年。安城市「新幹線対策課」の職員として駅の開業に深く携わった2人に話を伺いました。
「駅前を通るたびに、誇らしい気持ちになりますね」と話すのは、安城市の新幹線対策室発足当初からの担当者である加藤勝さん。
安城市への新幹線駅の誘致活動が本格化したことを受け、1984年4月にたった1人で対策室を立ち上げた。開業4年前のことだ。「国に陳情へ行ったり、建設資金の寄付を募ったり、前任の教育委員会とはまったく畑の違う折衝ごとばかりで、神経をすり減らす毎日でした」。
先輩とともに力を注ぐ
犬塚伊佐夫さんが三河安城駅開業の仕事に携わるようになったのは、対策室設置から半年後の同年11月。
対策課へと体制を強化、10人へと一気に増えたメンバーのうちの1人だ。駅の建設がほぼ決定となる中、用地買収の担当にと加藤さんが白羽の矢を立てたという。「駅建設を快くなく思っている地権者がいたのも事実。彼らとの折衝は骨の折れる仕事でした」と振り返る。
忘れられない大切な場所に
開業日の三河安城駅(写真提供:安城市)
途中で投げ出したくなるような困難を極める仕事となったが、それでも踏みとどまれたのは「大きな期待感があったから」と両人。
安城の発展につなげたいという思いが新幹線対策課のメンバーたちを突き動かしていたという。「ビルが立ち並び、近代化された駅前を見ると感慨深いですね」と犬塚さんが話せば、加藤さんは「旅行へ出掛けるときは、いつもこの駅を利用していますよ」。2人にとっても大切な場所となっている。
三河安城駅開業を支えた2人
加藤勝(写真右)
刈谷市生まれ。安城市の教育委員会などを経て、新幹線対策室へ。1986年に起工式が始まった時、張りつめていた緊張の糸が切れたことを今でも覚えているそう。犬塚さん曰く「何役もこなすスーパーマン」。開業は加藤さんの献身があったからこそ。
犬塚伊佐夫(写真左)
安城市生まれ。安城市役所へ入庁。開設当時の新幹線対策課のメンバーの中では一番の若手だった。前任の区画整理担当から犬塚さんを対策課へ引っ張ってきた加藤さん曰く「とても優秀な部下。私の目に狂いはありませんでした」。
(キャッチネットワークのライフコネクトチャンネルマガジン・ケーブルテレビの向こうがわ。2018冬号より)